宮崎八幡宮について

御由緒

宮崎八幡宮はこの宮崎の開発のはじめにあたり勧請されたお宮です。
赤ちゃんの宮詣から、七五三、入学、就職、結婚式に際して、私達は必ず氏神様にまいります。なかでも、氏神様、鎮守様、産土様で多いのは全国に四万社程ある八幡様です。その総本宮が大分県にある宇佐神宮です。

宮崎八幡宮

宮崎八幡宮は今より九百年前の永承年中(一〇五〇年)頃にこの地方の開拓にあたった海為隆が、昔よりお祀りしていた橘大神と共に、宇佐八幡大神をこの地に勧請し、開拓にあたったと言われています。鎌倉時代に記された、建久図田帳には、その頃の地名として、渡別府と記されその頃の様子がいくぶんわかります。

当宮も渡別府八幡、宇佐八幡、八幡宮、等の名称で親しまれていたことは、当宮に残る社宝の棟札からも判明します。
それより、内藤の諸侯、領主をはじめ宮崎郷の中心として人々の信仰も篤く、名実共に宮崎一円の氏神(鎮守)として八幡様の名称と共に、人々に崇敬されてきました。

江戸末期から明治五年にかけて、この境内地に私塾「杉田塾」(開設杉田千蔭)があり、上別府小学校(現・宮崎小学校)はそれを母体に明治五年に開設されました。
当宮は明治以来八幡神社と申してまいりましたが、旧棟札やその後の発展から昭和四十三年十二月より宮崎八幡宮と御社名を改称になり、つづいて境域の整備、御造営が行われ昭和五十三年御社殿、神門などの竣工を仰いだのであります。

御祭神

  • 誉田別尊(ほんだわけのみこと:応神天皇)
  • 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと:仲哀天皇)
  • 息長帯姫尊(おきながらたらしひめのみこと:神功皇后)
  • 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
  • 伊邪那美命(いざなみのみこと)
  • 橘大神(たちばなのおおかみ)